佐世保市議会 2019-09-13 09月13日-05号
新幹線建設の経緯を申しますと、昭和49年、日本初の原子力船むつが原子力航路試験中に放射能漏れ事故を起こし、母港の青森県大湊港へ帰港がかなわぬ状況にあって、日本のどの港でも受け入れや修理を拒否され、昭和51年に総理大臣から、佐世保港でのむつの修理について協力要請があり、その見返りとして、昭和53年に自民党三役から、長崎新幹線の工事着工は、新幹線建設計画5線のうちの新幹線佐世保ルートは他の4線におくれないこととする
新幹線建設の経緯を申しますと、昭和49年、日本初の原子力船むつが原子力航路試験中に放射能漏れ事故を起こし、母港の青森県大湊港へ帰港がかなわぬ状況にあって、日本のどの港でも受け入れや修理を拒否され、昭和51年に総理大臣から、佐世保港でのむつの修理について協力要請があり、その見返りとして、昭和53年に自民党三役から、長崎新幹線の工事着工は、新幹線建設計画5線のうちの新幹線佐世保ルートは他の4線におくれないこととする
そういう時期に、長崎県は原子力船むつを佐世保港に寄港させておりましたが、寄港の条件の一つに長崎新幹線とともに佐世保新幹線建設計画がありました。しかし、原子力船むつが佐世保港から離れる折、佐世保新幹線建設は反故にされ、白紙になってしまったのであります。この佐世保新幹線建設断念にかわって、西九州道路建設の区間、いわゆる距離の延長が決定しました。
4 ┌────┬───────┬─┬────────────────────────┬───┐ │ │ │1│ゴミ処理施設・クリーンセンターについて │ │ │平成17年│ ├─┼────────────────────────┤ │ │9月16日│木村 和俊議員│2│新幹線建設計画
そこで、21世紀初頭の開業に向け、長崎新幹線建設計画の現状と今後の見通しについて、どのようになっているのか、お尋ねいたします。 8.食肉センターの今後の経営方針について。 食肉センターの沿革は、明治43年1月に稲佐山に設置された市営と畜場にまでさかのぼります。
しかしながら、JR九州の長崎新幹線建設計画を見ますと、この新幹線と競合する平行在来線として肥前山口-諫早間をJRの経営から分離すると、こういう前提で終始試算がなされているわけでございます。